ゥールーズ・レヴィナス『困難な自由』コロック報告(1)(馬場智一)

 2010年7月12日早朝6時38分、参院選の朝、ローマ経由で成田空港に到着、10日余りの滞在をおえて無事帰国しました。以下メモを見ながら記憶に残った限りで約一週間のコロックを何回かに分けて振り返ります。規模が大きく、途中(8日)はトゥールーズで別の用事もあったため、あくまで網羅的ではなく見聞きした範囲での報告であることをお断りしておきます。

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 コロックは2010年7月4日から9日まで。トゥールーズの市内各地で行われた。メイン会場は二つ。分科会がトゥールーズ・ミライユ大学にて5、6、7日の3日間。4日午後、7日午後、8日終日、9日朝から昼過ぎまで、全体討議がガロンヌ劇場。また映画上映が分科会や全体討議の後や合間に同劇場にて上映された。
 
 そのほか、7日の夜のみトゥールーズ・カトリック学院で全体討議、市役所近くの(あえて訳せば)「白影書店」(Librairie Ombres blanches)では5日〜9日まで毎夕、時代ごとにレヴィナスの思想をめぐる一般向けの講演会「エマニュエル・レヴィナスの思想の道程」、8日の夜は「ユダヤ教会館エルサレムの間」にて東方イスラエル師範学校でレヴィナスの謦咳に触れた元生徒たちを交えて懇親会、同夜トゥールーズシネマテークでは『逃走について』や『われわれのあいだで』で触れられているチャップリンの「モダンタイムズ」がジョルジュ・アンセルによる趣旨説明ののち上映された。(『逃走について』では「街の灯」が言及されている)
 
 このように4日午後から9日昼過ぎまですべてを網羅することはほぼ不可能といってよいハードスケジュールで予定が組まれていた。

 4日

 ガロンヌ劇場は、トゥールーズ市街地の中心の南を流れるガロンヌ川のほとり、住宅街を横目にしばらく歩くとみえてくる、レンガ造りの大きな元倉庫(?)を改造した劇場と、ガラス張りの現代建築が接合された建物。

 街の中心部、市役所があるキャピトル駅からは地下鉄で二駅、レピュブリック駅から徒歩7、8分。住宅街を通る手もあるが、最初は景色を眺めるため川沿いの小道を通ってみた。広々として、大都市のわりには奇麗な水が流れるガロンヌ川がすぐそこに流れており気持ちがよい。散歩にはちょうど良い。じっさい犬の散歩をするおばあさんとすれちがった。こんなところに劇場などあるのかと、しだいにそわそわしてきたのだが、広い川面を眺められる気持ちの良さそうなテラスが見えてきた。すでに多くの人がそこに集まっている。多くの顔のなかに、発表者のひとり、ジャン=フランソワ・レイがみえたので、無事着いたのだとわかった。

 建物の表側にまわり、突き刺すような南仏の日差しを逃れ涼しげなガラスの扉を空けて中に入ると、かなりの人がすでに到着している。カウンターで登録をして、ネームプレートを渡されるが、すでに二度訂正のメールを出しているにもかかわらず、下の名前がTamakosuに。最初の間違いはTomakosuだったのでさらにひどくなっている。サインペンで書き直してもらう。プログラムや地図が入った肩掛けバッグを受け取る。日本からの参加者とも早速挨拶。

 実は、前日のパリからの車中、そしてこの日の午前中に原稿の最終訂正をし、午後は中心街でネットカフェを探し印刷をしていた。そんなわけでここに着いたときにはフランソワ・ポワリエとの対談のビデオの上映が終わっていた。この対談は日本語にも訳されているが、やはり文字とは違う部分があったようだ。たいした違いではないかもしれないが、対談の雰囲気は見てみたかった。

 二階にあがるとさっき脇を通ったテラスがあった。休憩時間で、みな飲み物を手に歓談している。そのなかに2006年のマギル大法学部主催の「レヴィナスと法」コロックで知り合ったジェシー・シムズ(カナダ)がいたので、久々に近況報告。モスクワで教えるアンナ・ヤンポルスカヤともクリュニー修道院で行われたコロック(このときは傍聴のみ)以来4年振りの再会。

 時間がきて劇場の席に座る。しばらくするとダヴィド・アンセルによる開会の挨拶が始まった。ダヴィドはレヴィナスの娘シモーヌと数学者ジョルジュ・アンセルの息子で、神経科学者。自身の研究で日本にもよく来ているらしい。二年前からの準備を始め開催にまでこぎ着けた経緯を簡単に説明。

 続いて今回のコロックの主題「『困難な自由』を読む」の発案者であるブランショ研究者のエリック・オプノが発案の経緯を語る。『困難な自由』はレヴィナス思想の原点(origine)が記されているが、その内実は複雑に絡み合ったまま(enchevêtré)でもある。この原点に立ち戻る必要性を強く感じた、ということだった。これまでのレヴィナス研究ではそれぞれのテクストが書かれた具体的な歴史的文脈や同時代の思想家との複雑な関係が軽視されがちであることを考えると――オプノのブランショに関する仕事には問題があるようだが――それぞれに異なる背景を抱える多くの小論の集積であるこの一冊の書物に、何日も多くの人が集中して取り組むということ自体は、良いアイデアだと思った。

 オプノの問題点、またそれと関連したレヴィナスの草稿相続を巡る問題――これはこの巨大なコロック全体の背景でもある――については西山雄二氏による報告(http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/01/post-186/)を参照されたい(レヴィナスに関する情報は私の発言によるものである)。

(上記ブログを参照されたことを前提で書くと)その後、レヴィナスの草稿相続を巡る裁判は結局息子側が勝訴した。今回のコロックは娘側によるものだが、そのことは北米レヴィナス学会(NALS)との強い絆にも現われている。

 オプノにつづいての発言は北米レヴィナス学会(NALS)のソル・ネリー。2006年の学会設立から今日に至る経緯が簡単に紹介された。ちなみに2007年大会ではシモーヌも含めたアンセル家4人が招かれ講演を行っている。今回のコロックの主催はこのNALSと国際レヴィナス研究会(SIREL)である。

 SIRELは2006年にアンセル家を中心に数多く行われたレヴィナス生誕百周年記念コロックの組織委員会が母体となっている。したがって両学会ともに生誕百周年を大きな契機として誕生し、そしてアンセル家が強力な紐帯となっている双子のような存在であり、今後も協力関係は続いていくだろう。来年には『全体性と無限』出版50周年を記念したNALSの大会がテキサスで開かれる。

 NALSが設立され第一回大会が開かれたときにはその参加者人数(60人くらいだったか?)に驚いたものだが、今回はそれを更に上回り150人近くを数え、国籍も3、40カ国ほどある。人数が多い分だけやはり玉石混淆にはなるのだが、これだけの規模の大会を運営するのは相当の労力である。極東からの参加者のファーストネームの間違いぐらいしかたないだろう。

 このあと全イスラエル同盟の代表者からの挨拶につづき、ジョズィ・アイゼンベルグによる『困難な自由』についてのレヴィナスへのインタヴュー(1978年、9分)が上映された。
 
(つづく)
(↑トゥールーズの市街地を流れるガロンヌ川)
 
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