トゥールーズ・レヴィナス『困難な自由』コロック報告(2)(馬場智一)

『困難な自由』についてのレヴィナスへのインタヴュー(1978年、9分)

 

 テレビで放映されたらしい短いインタヴュー。自著への直裁な質問に著者自らが簡潔に答える9分間。『困難な自由』を読むことをテーマとしたコロックの冒頭に、著者みずからの同著についてのコメントをみれてよかった。

 

 発表原稿を準備しながら一つ疑問だったのは、ブランシュヴィクからレヴィナスが受け継いだある種の知性主義と、ユダヤ教の再解釈によってレヴィナスが得て行く思想上の立場の関係だった。映像の前半では(ブランシュヴィクが体現した)西欧的知性についてはっきりと肯定的な態度を表明し、みずからもその意味では理性主義者(rationaliste)であるという。しかし、すぐに「私は極限まで理性主義者ではありません」(Je ne suis pas rationaliste jusqu’au bout)とはっきり述べていた。

 

 様々な時代のテクストが集められ、よく読んでゆくと数年のあいだに微妙な変化が見られる『困難な自由』。「ユダヤ教思想家」として知られるわりには意外にも西欧的知性にしっかり軸足を置いていながらも、彼の考えるユダヤ性に現代世界の知性的危機に立ち向う基盤を見出しつつあるいまだ完成されていない、そんなレヴィナス像がしだいに浮かび上がってきた。それなりに苦労をともなう読書作業のあとに、上のような問いがぼんやりとうかんでいたのだが、このセリフを聞いたとき、肩透かしを食らったかのような脱力感とともに、笑ってしまった。やはり9分間で要約させられるとこれだけ単純化せざるを得ないということか。これを見ていた他の参加者たちも他のさまざまな直裁な表現に各々反応していたのではないだろうか。いずれにせよ、分かり易い(すぎる?)自著解説としては非常に有益だった。手元の携帯で録音でもしておけばよかったと直後に気づく。

 

 これに続きチェコのヤン・ソコル(Jan Sokol)、アメリカのマーティン・ベック・マトゥスティク(Martin Beck Matustik)による発表。後者の発表が異色で印象に残った。

 

 ある許し難き犯罪の被害者が、その加害者を許すか否かの判断は、まさにその被害者に、そして唯一その被害者にのみ委ねられている。この「許すことの自由」こそ「困難な自由」である。マトゥスティクは分析系の議論(Charles Griswold , Forgiveness: A Philosophical Exploration, Cambridge University Press, 2007)から、許しの可能性の条件を手際よくまとめながら、レヴィナスの(そしてデリダ)思想と重なる部分も提示(途中で――文脈や若干異なるかもしれないが――1937316日付け、ホルクハイマー宛ベンヤミンの手紙も言及されていた、お詳しいかた御教示下さい)。そして、前半のかなり図式的な議論の骨組みに肉付けするように、後半では具体的な事例として、未だその内実は明らかにされていないクメール・ルージュによる大量虐殺とその裁判を取りあげた。

 

 現在カンボジアの首都プノンペンに、旧ポル・ポト派による大量虐殺を裁く、カンボジア特別法廷が設置されている。「S21」という通称で知られていたトゥールスレン収容所で15000人の殺害を監督した罪に問われているカン・ケ・イウ(Kaing Guek Eav、通称ドッチ)に、昨年40年の禁固刑が求められたが、当人はポル・ポト政権の上級幹部ではなかったことを理由に釈放を求めている。責任を認め、後悔を告白しながらも、自分の家族の命を守るために命令に従わざるを得なかったとも述べている。(裁判について日本語でも報道あり:http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2588354/3981969)(http://en.wikipedia.org/wiki/Kang_Kek_Iew

 

 この赦し乞いに対して、赦すという困難な自由を自らに委ねられたのがS21収容所の7人の生き残りの一人、ヴァン・ナト(http://www.vannnath.com/)。文字を読む事さえできれば知識層と見なされ次々と殺されていった中で、ナトは、画家であったために、ポル・ポト派のプロパガンダ絵画を書くために命を救われる。虐殺が終焉を迎えた後、しばらくはこの悪夢に直面できなかったのだが、虐殺の証人として、生き残った人間の責任として、彼は、実際に目撃した数々の残酷な場面を描き始め、その活動は今も続いている。

 

 発表は、ガロンヌ劇場の広いステージに中央につり下げられたスクリーン上に(通常はレヴィナスの写真が投影されている ※直下の写真参照)、ヴァン・ナトのインタヴューが流された。彼の活動は、大量虐殺を生き延びた人びとに特徴的な(おそらくレヴィナスも経験したであろう)心理的葛藤から、描き続けるのだが、赦すという自由にさらされることで、また別種の葛藤を抱えてもいた。


 狭義のレヴィナス研究とはいえないだろうが、レヴィナスの思想と経験を背景に、現在進行中の一問題に焦点を絞るという切り口は非常に興味深かった。またこの問題が一つの特定の問題だとしても、同じ葛藤をレヴィナス自身がおそらく抱えたのだし、そこに(特に後期の)彼の思想もまたある意味で由来しているのだとするならば、たとえ哲学者にとってバイオグラフィーが二次的なものにすぎない――彼は生まれた、哲学した、死んだ――のだとしても、同種の問題へとレヴィナスの言葉をもって入って行くことは、問題の理解にとっても、そしてレヴィナスの思想の理解にとっても意義深い試みなのではないだろうか。

 

 休憩をはさみレヴィナスの娘婿、元々は数学者で、ルーアン大学退官後はレヴィナスやタルムード研究を発表しているジョルジュ・アンセル(George Hansel)の発表、「イスラエルの単独性(singularité)と倫理的普遍性」。数学者らしく、彼の発表は非常にクリアである。発表を初めて傍聴したのが2006年、それ以来これで45回目くらいになるが、明晰さに関しては期待を裏切らない。一つの発表に与える課題を非常に限定し、手続きを明らかにし、何が説明されたのかがしっかり伝わる、お手本のような発表である。(数年前まではレヴィナス系のコロックではこうした例は、かなり希だったのだが、今回のコロックでは明晰で手堅い発表が格段に増えたと思う。)

 

 一年程前、フランス・キュルチュールで放送されていた、フランソワ・ヌーデルマン司会による「哲学の金曜日」で、ジェラール・バンスーサン、ジョセフ・コーエン、フランンソワ-ダヴィド・セバーをゲストに「レヴィナスと同時代人」と題した放送があった。番組の最後にセバーがレヴィナスにおける普遍性のあり方、「放射による普遍性」(universalité de rayonnement)を説明しようとしたが、この定式を説明できないまま放送は終了。ジョルジュ・アンセルの発表はこの点を非常にクリアに解説してみせた。その主な題材となったのは、タルムードにおける一種の「歴史哲学」である。社会正義を実現するという目的におけるローマ帝国のある面では肯定的な役割、そして「イスラエル」の役割、そしてそれについてのレヴィナスの解釈。

 

 思想史的には、この発想はタルムード成立期(つまりローマ時代)に遡る「ノアの末裔」思想に源泉がある。神がノアと交わしたとされる七つの約束を守る者は、たとえ神と契約をしたイスラエルの民ではなくとも、正しい異邦人(ゲール・トーシャヴ)と見なされる、というものである。レヴィナス自身述べているように、この発想は、グロティウスやジョン・ゼルデンといった近代自然法の思想家に再発見され高く評価されている。

 

 しかし、イスラエルの民以外に広がってゆく正義の普遍性は、イスラエルを中心にしてその秩序を他国に押し広げているだけではないか、個人的にはそのような疑念がどこかにあったのだが、この発表を聞いた後は、ユダヤ人の特性なき特性をその倫理的使命の普遍性と結びつけることで、ユダヤ的な特殊性質が拡大するわけではない、と説明する道筋あるのかと思った。そこには当然、発表の末尾で触れられたように、内包的な普遍性の論理であるヘーゲル的な具体的普遍の解体がある(また、「タルムード的普遍性は、無限の細分化(ramification infini)を使命とする科学的普遍性に近い」とも言っていたのも印象にのこっている)。レヴィナス自身は、国家としての現実のイスラエルに国家を越えて社会正義を実現するという歴史的使命を付与している(この点、ディアスポラ状態を重要視していた戦前とは明らかに異なる)。この点、確かに政治的には微妙なポイントであることにはかわりない。

 

 余談だが、発表原稿を読み上げるなかで、イスラエルの普遍的正義といった表現(正確には覚えていないが)などがやたら続く箇所があり、「イスラエル」の語を現在のイスラエル国家という意味で理解するといかにもシオニストの政治信条のように聞こえてしまう箇所があり、発表者自身がそのような誤解を見据えて、一息おき、司会のオプノをちらりとみて、なにかぼそっと(会場の雰囲気からして「大丈夫ですかね?」のようなことか?)言っていた。

 

 今回のコロックは、イスラエルからの参加者も多い。また、アンセル家のジョエルはイスラエルで教えている。短絡的な発想で、シオニスト系のあつまりと見なす向きもあるかもしれないが、この一息は、そうした一枚岩的な立場を前提にはできないことを伝えている。

 

 この後、二つの発表とレヴィナスの80歳の誕生日の際の演説の映像を残して、帰路に着いた。余りに疲れていたので。すでに21時を回っていた。会場のドアを空け、カフェのテーブルで荷物を整理していると、目の前にミカエル(マイケル?)・フェーゲンブラット(7日の午前最後に著作の書評会が予定されていた)が立っていて、挨拶をしてきた。すぐ帰るつもりが、自己紹介や研究の話しなどしていたら結局40分くらい経ってしまった。初めて会って10分後にはヘブライ語のgoyの旧約聖書における用法について突っ込んだ議論をするはめになるとは思わなかったが、世界中から専門家があつまる貴重な機会だからこその出来事であり、率直に嬉しいことだった。 

(つづく)

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